連鶴と千羽鶴

いきなり結論から言いますと、現代では連鶴と呼ばれている折り紙作品は、昔は千羽鶴と呼ばれていたらしい、というお話しです。

連鶴(れんづる、れんかく)

現代では、以下の写真のような折り紙作品のことを「連鶴」といいます。1枚の紙に切込みを入れて、2羽以上の折り鶴を折ります。

読み方は「れんづる」「れんかく」です。折り紙では「れんづる」と読まれることが多いように思います。

花見車
呉竹
雛遊び
拾餌

お花が好きな方はボタン科の連鶴(れんかく)を思い浮かべる方もいらっしゃるかも知れません。

ですが、名前の由来等はお花の連鶴とは余り関係ないように思います。。

千羽鶴

現代では、1000羽の折り鶴を糸などで束ねたもののことを「千羽鶴」といいます。

しかし、江戸時代では今でいう連鶴が千羽鶴と呼ばれてたようです。

「百人力」「千里眼」等、数字は数そのものの意味ではない表現がありますが、「千羽鶴」も昔の人はその感覚だったのではないかと推測しています(個人的な推測です)。

なので、このサイト内でよく扱っている「秘伝千羽鶴折形」は名前に「千羽鶴」とあるんだと思います。

「秘伝千羽鶴折形」の存在を知って間もない頃、その本に登場する全ての折り鶴の数を合計しても1000羽にならないし、何で千羽鶴なんだろう?なんて思っていました(笑)。

連鶴、千羽鶴の歴史

千羽鶴(1000羽を糸で束ねたものの方)の起源ははっきりとは分かっていないようです。
戦前に「千人針」という風習があり、その風習から「千羽鶴」が生まれたのではないかという説もあります。
明確には分かっていません。

ただ、戦前には、糸に通した折り鶴を「千羽鶴」とよび、神社仏閣に捧げられていた記録はあるようです。

「連鶴」という言葉は1990年代頃から広まったようです。

「連鶴」は長い間、その存在が忘れられていました。

1957年に吉澤章さんが「O・T通信」という機関紙で「秘伝千羽鶴折形」のことを発表し、同年、週刊朝日に紹介され脚光を浴びることになったそうです。

時系列的には、こんな感じでしょうか。

  • 江戸時代では、今でいう「連鶴」は「千羽鶴」と呼ばれていた
  • 戦前(大正、昭和初期辺り?)に、糸を使用する「千羽鶴」が広まった
  • その間、今でいう「連鶴」は忘れ去られていた
  • 1957年、吉澤章さんの発表により「秘伝千羽鶴折形」が脚光を浴びる
  • 1990年頃から、「連鶴」という言葉が広がる

現代に「秘伝千羽鶴折形」が再び脚光を浴びた時、「千羽鶴」は糸を使うもの方に名付けられていたので、それと区別するために「連鶴」という言葉が生まれたのかもしれませんね。

「連鶴」という言葉の生みの親は誰なのか、糸を使う「千羽鶴」が生まれた詳細の歴史等、気になることは沢山ありますが。。

今後、他に何か分かったら、また記事を書こうと思います。


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